島根大学旧奥谷宿舎の歴史について
「戦前の外観」写真提供:東京医科歯科大学大学院 若松秀俊教授
はじめに
島根大学の前身校の一つ、松江高等学校は、水の都・松江に設立された、わが国で17番目の官立の旧制高等学校です。
旧制松江高等学校では、受講する第1外国語によって甲類(英語)・乙類(ドイツ語)に分かれていて、外国人教師各1名が語学教育にあたっていました。この外国人教師が居住した宿舎が、2007年(平成19年)5月、国の「登録有形文化財(建造物)」に登録された「島根大学旧奥谷宿舎(旧制松江高等学校外国人宿舎)」なのです。
2 建築について
(1)島根大学旧奥谷宿舎の特徴
宿舎は、1924(大正13)年11月29日に落成しました。
松江市内でも希少な、急勾配の三角屋根(昭和20年代までは黒瓦葺き)をもつ木造2階建て洋風建築です。
外壁は、1階が木製の下見板張りで、2階がセメントモルタル投げ付け塗り仕上げとなっていて、2連及び3連の連続窓を四周に付けています。内部は多くが改装されていますが、アール・デコ調の階段手摺や漆喰の天井飾りは、築造当初の状況を留めています。
当初、同一規格の1号官舎(独語教師居住用)と2号官舎(英語教師居住用)の2棟が並んで建っていましたが、2号官舎は、1937(昭和12)年3月28日に火事で焼失しました。
(2)大正時代の住宅建築
大正期は、急勾配の三角屋根をもつ西洋風住宅が、東京・大阪などの大都市郊外や軽井沢などの避暑地で急激に普及した時代でした。この宿舎も、当時流行のこうした洋風建築の系譜上に位置付けられます。
ちなみに、当時こうした住宅の普及を後押ししていたのは、生活改善同盟会という政府外郭団体で、その主宰者は、わが国の社会教育行政や博物館事業に尽力した文部省普通学務局課長の乗杉嘉壽、後の旧制松江高等学校第二代校長となる人物でした。
また、この宿舎と近い時期に建設された旧制弘前高等学校や旧制佐賀高等学校の外国人宿舎も下見板張で三角屋根をもつ2階建て洋風建築で、同様に当時の流行を反映していることが窺えます。
なお、松江市北田町に残る洋館、「北田町集会所・愛隣会館(あいりんかいかん)」も急勾配の三角屋根をもち、類似した建築様式とみることができます。(註1)。
3 居住者について
戦前、この宿舎には、「著作権の父」として有名なウィルヘルム・プラーゲ博士、第二の小泉八雲として慕われているフリッツ・カルシュ博士らが暮らしていました。プラーゲやカルシュに薫陶を受けた学生のなかには、「長崎の鐘」著者の永井隆博士をはじめ、各界で活躍された著名人を数多く輩出しています。
戦後は、ヘルマン・ヘッセと親交のあった藤野義夫教授、島根県の英語教育に尽力したバーソルド・アロンスタイン博士、アリソン女史などが暮らしました。
その後、学長宿舎、宿泊施設、大学教職員宿舎(註2)として利用されていましたが、現在は使用されていません。
4 おわりに
旧制松江高等学校は、戦後の学制改革によって今はありませんが、その伝統・学風は島根大学のなかに脈々と受け継がれています。現在、旧制松江高等学校の校地を引き継ぐ島根大学松江キャンパスに当時の木造校舎はまったくありません。ですから、この宿舎は旧制松江高等学校に関係する唯一の建築物となります。
かつて存在した旧制松江高等学校の記憶や島根大学のDNAを今に伝える、貴重な歴史的建造物ということができるのです。
島根大学ミュージアム 会下和宏
(註1)昭和6年建築の木造洋館。急勾配の屋根は当時瓦葺きでしたが、現在はスレート葺きになっています。 明治29年に福田平治が開いた育児院の一部です。
(註2)1994(平成6)年6〜8月の3ヶ月間、私も1階の1室で暮らしていました。




