カルシュ先生の想いで
「カルシュ先生ご一家と松江高校の生徒(宿舎の庭にて)」 写真提供:東京医科歯科大学大学院 若松秀俊教授
島根大学旧奥谷宿舎(旧制松江高校外国人宿舎)に暮らしたフリッツ・カルシュ先生は、大正末期から14年間、旧制松江高校で教鞭をとり、各界で活躍した、多くの優れた人材を育てました。
この宿舎を訪れて、カルシュ先生や夫人の作ったドイツ料理をごちそうになったり、悩み事の相談にのってもらったりした教え子も多くいたようです。
“長崎の鐘”で知られる永井隆は、大正14(1925)年、旧制松江高校に入学し、カルシュ先生からドイツ語を教わっています。
当時、カルシュ先生のドイツ語の授業は、前任のプラーゲ先生の厳格なやり方とは正反対で、大変温厚なものでした。このため医学部進学を目指す学生のなかには、これでドイツ語の力がつくのだろうか…という批判的な意見をもつ者もありました。
しかし、永井隆は別な考えでこう言ったそうです。
「なる程、プラーゲさんのやり方が続いていたら、我々の会話の力はもっとつくだろう。だがカルシュ先生に教わっていると、ドイツ語教育をとおして、もっと深いものが教えて貰えると思うので、僕はこのままの方がいいと思う。」
この言葉に、クラスメートも納得し、カルシュ先生の授業を認めるようになったそうです。哲学者であるカルシュ先生の授業は、ただドイツ語を教えるだけではなく、それを通して国際的視野にたったモノの見方、考え方を学生たちに植え付けていったのでした。
若き日の永井隆の人格形成にとって、カルシュ先生の及ぼした影響が非常に大きなものであったことが窺えます。
島根大学ミュージアム 会下 和宏




